大化の改新はなかった(2)
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ありがとうございます。今日もすべてに感謝します。
世界中のすべての方が幸せにありますように!
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2011年 平成23年
7.22(金)
大化の改新はなかった(2)
歴史は理論で動くのではありません
姫野です。
今日東京はくもの多い過ごしやすい一日でした。
台風のおかげでさわやかな風が吹いて半袖なら汗をかかず
にすむ気温でした。
ど~も、いかがお過ごしですか。
今日渋谷の街はいつもより人出が多く感じました。ボーナス
後の金曜日の夜で、しかも過ごしやすい気温でちょっと飲ん
で帰ろうとする方が多かったのでしょうか。
はじめに、みなさんのご意見を伺いたくて
僕の夢の話を少しさせて下さい。
お釈迦さまは、深いこころの平安を得るために必要なことを
示されています。でも今ひとつ体系立っていません。
また普通の方はこれを順を追って理解して学ぶ機会があり
ません。
僕の夢のひとつとして、京都あたりにセンターを創って、
その家の部屋を順を追って通っていくだけで、順序よく「どん
なこころの在り方をすれば幸せに生きられるのか学べる」よう
なそんなセンターがあったら便利だろう。
世界の人々の幸せにきっと役立つにちがいない。と考えて
います。
まあ生きているうちにできたら、そんなセンターを造り人生に
ちょっぴり疑問を感じた人が世界中から集まって、縛られず
個人が自由に納得して学べる場所を造りたいと願っています。
あなたが不滅の深いこころの平安を得ることは
そう難しいものではありません。
「私の本質は身体と心のことだ。それ以外に何がある」いう
考えを捨てて、超えるだけでいいのです。
「私を棄てる」という感覚をもたない限り、深い不滅の幸せは
訪れないと僕は感じます。
僕の夏の夜の夢です。
僕の「こんな学びの場所を造れたら」という夢を
あなたはどう感じられますか?
こんな僕の考えをほかの方はどう感じるだろうとご意見を
伺いたくなります。
ですから、自由に遠慮なくあなたのご意見ご感想をいただ
けると僕は喜んじゃいます。
このリメールでもよいですし
あるいは僕のメルアド ana38655@nifty.com
まで。
さて
幸せのためには、自由な視点、通説と異なることも素朴に
疑問に感じたらすなおに疑問に思うのも大切です。
それで、学校で正しいと教わったことも、自由に疑っても
よいと僕は思います。
そのひとつで、大化の改新(645)の例をあげようと
思って書いています。
大化の改新は中大兄皇子と中臣鎌足が、天皇をないがし
ろにして日本をわがものにしようとする悪臣、蘇我氏を
滅ぼし。天皇中心の中央集権体制、本格的な律令政治を
開始するために行われた。と習いました。
しかも蘇我氏は、邪魔になる聖徳太子の息子山背大兄王
子を罪なく殺した憎んでもあまりある人物とされています。
これらは、日本書紀にそう書かれているのです。
<疑問点>
1 大化の改新の後、律令政治が進められた資料が出てこ
ない。むしろ、壬申の乱(672)天武天皇の即位後
から初めて進められたことが史実によりほぼはっきり
している。
日本書紀の記述にあるように645~649に次々に
進められたとは認めがたい。
2 中大兄皇子(天智天皇)は即位後、倭国をあげて百済
救済に乗り出し663年 白村江の戦いで、唐・新羅連
合軍にあっけなく大敗する。天智天皇はその後倭国防衛
に必死となる。
3 人気のある聖徳太子の息子、山背大兄王子の殺害は
入鹿が単独で決めたこととする証拠はない。
むしろ、当時の皇極天皇とその皇族が、山背大兄王子
の人気に非常に自分の地位に不安を感じていた。入鹿は
国の安定のためにはやむを得ないとして、やむを得ず
同意したと見るのが妥当ではないのか。
<結論>
645の乙巳の変は大化の改新というのはなく、
中大兄皇子を担いだ保守派のクーデターであった。
<推理の理由>
まづ、当時の日本(倭国)を巡る、国際情勢と国内情勢
を知る必要があります。
朝鮮半島の南は、僕は昔から倭人が住んでいた。と思い
ます。つまり、南朝鮮はイギリスとアメリカとの関係以
上に日本の一部のような関係とみるのが妥当だと僕は
思います。
ですから、百済は外国ではなく倭人が住む、倭国の
大切な領土の一部という感覚を当時の多くの人は持って
いたと思います。
そのため、百済から人が来ても当時の資料で通訳が
ついていません。同じ倭人で、言葉がそのまま通じた
のだと推理できます。
<中大兄皇子の立場>
中大兄皇子(後の天智天皇)には2つの大きな動機が
あります。
1 次の天皇は、当時絶大な権力を握る蘇我入鹿にすれば
当然蘇我系の皇子、古人大兄王子になる可能性が高い。
そうすると、皇位継承権を持つ自分の命が危ない。
将来、入鹿に殺される可能性も大いにある。
2 蘇我入鹿は当時で一番の国際情勢に通じた知識人と
言ってよい合理的で明晰な頭脳の持ち主でした。
ですから、唐の国力をよく知っていて、日本が唐
と戦っても勝ち目はない。とよく知っていました。
ですから、百済救済も大切だが、唐との戦いを回避し
どう唐と融和していくかに力を入れていた可能性が高い
です。
それは、国内の保守派には面白くありません。「なぜ
百済を救済し、唐と戦わないんだ」と歯がゆく感じてい
たと推理します。中大兄皇子もその保守派の一人だった。
多分ですが蘇我入鹿の優秀さを認めつつも、やや傲慢な
蘇我入鹿に保守派の多くまた支持派も内心では反感を持
っていた。
これが僕は、乙巳の変の大きな原因だったろうと思い
ます。
ここまでの僕の推理をあなたはいかが感じられるでしょう。
つづく…
今月の歌
伊藤咲子さんの「乙女のワルツ」です。
http://www.youtube.com/watch?v=d29WbqYb3oI&feature=related
では、今日はここまでで「南無観自在仏」
ありがとうございます。
今日もご無事で過ごせますように!
ではでは、
あなたに感謝します!
今日も笑顔でニコッとね!
もしよろしければ、お参りして一息入れてみて下さい。
(聖心寺・聖心神社)
http://seisinji.net/index.html
「お茶のみ話相談」の部屋。気が向いたときはどうぞ。
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P2334219
(健康のために)
意識して一日数回は深呼吸しましょう!
そして歯も大切にしましょうね!
私などいない
私や私のものなどこの世にはありません
気付いていますか
昨日も今日も明日もそして今この瞬間も
幸せはあなたに降りそそいでいます
愛以外、あなたを最終的に満足させられるものは
何もありません
この宇宙のすべてに
深い感謝と祝福をささげつつ
あなたにたくさんの幸せが訪れますように!
この美しい宇宙のすべてが
あなた自身の姿なのです
幸せについての話が得意です。
何かのときにはお声をかけて下さい。
「スピリチュアルな幸せの専門家」
姫野 修一郎(Himeno Shuichiro)
メールアドレス:ANA38655@nifty.com
あなたの意識が世界を創ります
あなたが幸せに生きることは
世界を幸せにします
今日もすべてに感謝します
ありがとうございます
愛を込めて!
姫野 修一郎
◎夢で愛ましょう!
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